酒と女とイカサマ師たち
1776年のアメリカ合衆国独立宣言当時は、現在のネバダ州一帯はまったくの未開の地でした。
1850年代になると、金鉱ブームにわくカリフォルニアをめざして行き交う人々の水補給所の中継地点として、その存在を徐々に知られるようになってきました。
そして、一撰千金を夢見てカリフォルニアに向かう人々を狙ったギャンブルが登場してきたのです。
この当時のギャンブルは19世紀のフランスの社交場をまねた薄暗い「サルーン」と称するカウンター形式のバーで行われ、プロのギャンブラーも客も荒くれ者が多く、イカサマが横行していました。
このフロンティア時代に名を残したギャンブラーに、ウィリアム"ラッキー"ビルがいます。
彼は、教会の牧師たちまでが熱狂した、当時大流行のシェルゲームを得意としました。
もちろん手口はイカサマで、カリフォルニアへ向かう人々はいいカモ。
しかし、彼が有名なのはイカサマ師としてではなく巻きあげた金を貧しい人々に分け与えるという鼠小僧的な人物像からでした。
イカサマと言えば、原住民パイウテ族のインディアンの手口もまた信じがたいものでした。
なんと町中のトランプを買い占め、トランプに自分たちだけにわかる印をつけて、買った店に購入価格の4分の1の値段で再度売るのです。
そして店でそのトランプを買った客を見定めてはへその客とゲームをするという荒技です。
1859年に、現在のネバダ州北部のバージニアシティでカムストック鉱脈が発見された結果、ジョン・ウェインの西部劇を思わせるような活気ある町が誕生します。
まず、金を掘り起こすための坑夫が集ま猷金を都市へと送り出すための貿易商人銀行員、街づくりのための大工が集まってきました。
そこに酒場、木賃宿、売春小屋などが作られると、まさに火に油。
街は"飲む・打つ・買う"の無法地帯と化していきました。
当時ユタ・テリトリーに属していたバージニアシティではギャンブルは禁止されていたのですが、ユタからの距離が遠く実際には取り締まりはまったく及んでいませんでした。
そのため、酒、女性、そして、ギャンブルにまつわるいさかいが絶えなかったのです。
「ワイルドウエスト」という言葉は、当時のこのような状況から生まれたのでした。