空軍基地と核実験で潤う「罪深い街」 2
支払われた給料の合計は15億ドル。
同プロジェクトによるネバダ南部に対する経済効果は5億ドルと言われ、ラスベガスにおけるビジネスの多くは、この恩恵を受けてスタートしたと言われるほどです。
アメリカが旧ソビエトとの軍事競争に明け暮れていた当時、ネバダ州のビジネスマンたちが他州の人たちに対して、「ネバダ州」という言葉を誇らしげに使うことのできる時期でもありました。
その後、核実験禁止協定が米ソ間で結ばれます。
これによって一時実験活動は停止されますが、ソ連の核実験再開に合わせ、1962年に米国でも地下実験が再開されます。
ネバダの核実験のみならず太平洋の環礁での実験も合わせて統轄するための管制センターが、今でもラスベガスに置かれています。
ちなみにネバダ核実験区域(NTS)の面積は3500平方キロメートルもあり、これは東京23区のほぼ6倍、大阪府の約2倍の大きさに匹敵します。
NTSはラスベガスから北西104キロしか離れておらず、区域内では放射能に汚染された農産物や牧畜牛などを使って、放射能除去や放射能治療の研究が行われていました。
ネバダの住民がどれだけ自慢しても、ラスベガスには空軍基地、核実験にギャンブルというネガティブなイメージがつきまとい、全米から「罪深い町」「電気仕掛けの汚れた町」「現代のゴモラ」などと呼ばれることとなります。
ラスベガスのこの屈辱的なイメージが払拭されるようになったのは、1980年以降のことなのです。